追悼文1

 浅香都子(個人会員)

最初にお会いしたのは私が山形に住んでいた時、山形のきき耳の会と浦和子どもの本連絡会との交流会でした。きき耳の会に入りたての頃です。近藤さんのおはなしは「しあわせのテントウムシ」岩波書店『しあわせのテントウムシ』アルフ・プリョイセン作でした。女の子の小さな願いがかなうおはなしです。温かな幸せな気持ちになりとても印象に残りました。
 その後何年かして浦和に住むことになり、連絡会の個人会員になりました。おはなし会や文庫活動も盛んで、おはなしを語ることになったのですが、小学校では近藤さんと一緒のクラスに入ることもあり、包容力のある中に人柄を感じる語りに引き込まれました。
 おはなしを通して、ポジティブなもののとらえ方が将来を好転させる力になることを近藤さんに教えてもらいました。いろいろな場所で活躍され、地域の子どもにも連絡会の私たちにも多くの力を与えてくれた近藤さん、本当にありがとうございました。これからも大切に守り続けていきたいと思います。

◆浅見 雅代(個人会員)      感謝をこめて34年を振り返る

浦子連に入会して有難かったのは、ひと回り上の先輩が何人もいて、それぞれ得意分野があり、信念があり、それでいて初心者を温かく受け入れてくださったことだ。近藤さんもその一人だ。
 そもそも私は「人形劇ができるところはないでしょうか」と図書館のカウンターで相談して、浦子連を教えられたのだ。場違いだったかと思ったが、「若手3人でやったらええやん」のひと言で、村山さん、吉田さんと人形劇団カレーライスが立ち上がった。「おかあさんのごちそう」(おはなしのろうそく4)や「だってだってのおばあさん」(佐野洋子の絵本)を作ると、いろいろな文庫に呼んでもらい、図書館で司書さんの人形劇と2本立てをしたこともあった。
 「おはなしもやってみれば?」と言われて、文庫もおはなし会も知らない私が勉強会で初めて語ったのは、「見沼の雨降り朝顔」だった。「小学校や文庫で子どもに聞いてもらえる話も覚えたら?」とのことで「おいしいおかゆ」や「ねずみのすもう」を覚えると、小学校のおはなし会のメンバーに入ることになった。ベテランの方と組むので、ドキドキしながら自分の番が終わると、子どもと一緒におはなしを楽しんだ。
 例会、おはなし勉強会、おたよりの印刷・発送と、月3回はいつもの顔ぶれで集まるのだが、「〇〇の本が面白かったけど、作者はどんな人なのかな」とか、「〇〇を習ってみたいけど、ムリかな」とか言っていると、すぐに「△△さんに聞いてみたら?」、「△△に問い合わせればいいじゃない」ということになり、言われるままに調べ、会場を探しているうちに浦子連の講習会や連続講座が形になっていくのだった。
 2000年の子ども読書年に向けて、小学校のおはなし会が増え、いくつもの図書館でおはなしボランティアの活動が始まって、みんなどんどん忙しくなっていったが、私にとって大仕事だったのは、ルーマー・ゴッデンの3冊の自伝の翻訳だった。「ねずみ女房」や「人形の家」を読んで、「作者はどんな人だったんだろう?」と言っていたら、突然、原書のコピーの束を渡された。「少しずつ翻訳しておたよりと一緒に送れば、みんなも読めるし」ということで、千綿さんが訳文をチェックしてくれるし、印刷などは充子さんが手伝ってくれると段取りもできていた。私は知らなかったが、それはゴッデンが亡くなった翌年のことだった。1999年から5年半にわたり、映画「黒水仙」、「河」の原作者で、実写版「ピーター・ラビット」にも深く関わったゴッデンの、第二次大戦を挟んだ、インド、イギリス、ヨーロッバを舞台にした波乱の人生をたどっていった。そして3冊目を訳し終えたとき、毎回、数ページずつだった冊子を一冊にまとめて、美しい布で装丁した手作りの本が、近藤さんから届いた。
 浦子連に入会して34年になろうとしているが、終始「場違いかな?」と感じていた私を温かく受け入れ、育てていただいたことに感謝している。
 近藤幸子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

◆宇野 由美子(個人会員)          

今から25.6年前、2000年頃のことです。私は毎週、ある保育園のお話会に通っていました。その園には絵本があまり多くないことをお話ししたところ、近藤さんは段ボール1箱分ものたくさんの絵本を寄贈してくださいました。その中には、最後の見返しに「購入した年」と四人のお子さんのお名前、そしてその時の年齢が書かれている絵本もありました。ご家族の大切な思い出が詰まった絵本まで託してくださったことに、胸がいっぱいになったのを覚えています。園の子どもたちは大喜びで絵本を手に取り、何度も読んでいました。
 近藤さんは子どもと絵本を大切にされる本当に温かな方でした。その優しいお心遣いは忘れることができません。感謝の気持ちとともに心よりご冥福をお祈り申し上げます。

◆江幡 カヨ子 (個人会員)

訃報を知り、ただただ驚いております。
近藤さんは、関西弁を話されるパワフルな女性という印象が強いです。浦和こどもの本連絡会で勉強させて貰えるのも、近藤さんのお蔭と、いつも感謝していました。入会当初、近藤さんの素話をお聞きするのが、とても楽しみでした。「ジーニと魔法使い」では、リスがとっても可愛かったです。図書館ボランティアの素話の勉強会でもご指導を受けました。少し辛口でした。
 わらべうたの勉強会でもお会いし、世話役に感謝するように言われていました。
近藤さん、有難うございました。心より御冥福をお祈り致します。

大久保美枝(二水会)

 ある日の定例会で、近藤さんが「年を取って来ると、字が見えづらくなり、読み聞かせが大変になる時があると思う。その時、おはなしが出来るといいわね。皆さん、語ってみませんか。」とおはなしスタッフ講座の話しをされました。私は、直ぐに講座に参加しました。初めのうちは、何のおはなしにしたらよいか、随分迷いました。更に、覚えるのもとても大変でした。2年目に、「ねずみのすもう」を語った時に、近藤さんが「大分上手になりましたね。」と褒めて頂き、とても嬉しかったです。その後も、覚えることの難しさに直面したり、厳しい指導もあったり、最後まで達成出来るか不安になることも多々ありました。でも、近藤さんの
おはなしを覚えるのに必死にならなくても、自分なりの言葉で覚えれば良い。
日本語に関心を持って、きれいに日本語を伝えること。
その言葉に支えられ、何とか最後まで頑張ることが出来、感謝の気持ちで一杯でした。今では、スタッフ講座で語ったおはなしを小学校、保育園、幼稚園で生かし語っています。これからも、沢山の子どもたちにおはなしの素晴らしさを語って行きたいと思っています。

◆大村裕子(個人会員)

近藤さんに初めてお会いしたのは、約20年近く前、第1回スキルアップ講座の時でした。当時私は茨城県の水戸市からさいたま市に引っ越してきたばかり。数年前から始めた小学校での読み聞かせボランティアの活動をこちらでも続けられたら、と思い参加しました。近藤さんは講座にアドバイザーとしていらしていましたが、私が水戸のボランティア時代にお世話になった図書館員の方と、近藤さんがお知り合いだったこともあり、よく声をかけていただきました。

近藤さんの語られる『ルンペルシュティルツヒェン』をお聞きしたときは、小人が森の中で自分の名を歌っている姿がくっきりと浮かび上がり、ぐんぐんおはなしの世界に引き込まれていくのを感じました。それまでおはなしを聞く機会の少なかった私に、その面白さや奥深さを教えてくださいました。言葉ひとつひとつに生命が吹き込まれた、近藤さんの力強くあたたかい語り口が心に残っています。

最近、私は浦子連の活動にほとんど参加できず、お目にかかる機会は少なくなっていましたが、スキルアップ講座やストーリーテリング講座で熱心にご指導、アドバイスいただいたことは心の中でずっと生き続けています。近藤さん、本当にありがとうございました。

◆小田桐佳子(二水会)

近藤先生との出会いは私が60歳の時。友人との健康談議から「読み聞かせ」を薦められ、その講座を受講し、講師が近藤先生でした。この出会いが、今に続く「二水会」発足に繋がりで、現在に至っています。
近藤先生のご指導の下、長く専業主婦だった私にとって「読み聞かせ」は全てが新しく・楽しい集まりで毎回の講座が大きな楽しみでした。
 先生との読み聞かせ活動の中でも特に深く記憶にあるのは、図書館や幼稚園・小学校等での活動の中、小学生に絵本を読む事になった時です。教室には近藤さん、林さん、松本さん、そして私。初心者マークの私を先生が突然手招きされ、「この次手遊びね、私が今教えるからやってみて」と言われ、「私にはまだ無理です」と答えると、「大丈夫、私の真似をしてやってみて!」「大丈夫、大丈夫。私がいるから」と。その時の先生がとっても大きく見えたのを鮮明に覚えています。そして後方でひそやかな声でのご指導。 「なかなか ほい」でした。短い時間、うたと手と何回も何回もご指導をうけ、そして本番。「私がついているから大丈夫」のお声に、背を押され夢中でしたが何とか無事終えました。今でもその時の感情はハッキリと覚えています。
 数日後、わらべうた講座で休憩時に再会。先生が「頑張りましたね!」とお褒めの言葉を頂き、嬉しくて思わず二人でハグしちゃいましたね。その後も二水会定例会のリハーサルでも毎回気をつけていても「声が小さい」等たくさんご指導を頂きありがとうございました。
先生と出会えたお陰で私にとって「居心地の良い二水会」の皆さんとも出会えました。感謝! 感謝!です。

◆河合 祐子 (二水会)

東浦和図書館で「おはなしスタッフ養成講座」に初めて出席した日のノートに、完成度が低くても、やる。場数を踏むことが上達への近道とメモしてある。近藤さんの講義を聞きながら書いたものだ。12年前のことだがよく覚えている。「その内にと思わないで、これからやって下さい」と言われた時のことが、声、イントネーションごと蘇ってくる。当時、まさに、その内にと思っていた私は、自分に言われたと観念し、完成度が本当に低いままでも、毎月何か一つお話を講座で語った。あの時に背中を押してもらえて本当に良かったと思う。 その後たくさんもらったアドバイスの多くは未だものになってないけれども、一番最初に受け取ったこれは確実に私に届いて、今、少しずつではあるけれども小学校、図書館や保育園などで語っている。時にはノートを見返しながら、これからも大事に続けていきたいと思う。
近藤さん、ありがとうございました。 

◆神戸 秀美(にこにこ文庫)

私は近藤さんが語られたおはなしの中で「ありこのおつかい」と「なぞなぞのすきな女の子」が大好きです。初めて聞いた時はとても楽しくてかわいいおはなしだと感じました。そこで私もすぐに語りたいと思って覚えましたがなかなか楽しく語ることはできませんでした。「の女の子のセリフの語尾を上げたらええんちゃう」とアドバイスをもらいましたがまだまだイメージが膨らんでいないと思います。
 近藤さん 長い間お世話になっただけでお返しが出来ていませんが、近藤さんから教わったボランティア精神を忘れずに活動を続けていきたいと思います。本当にありがとうございました。

◆佐野 ひろ江(おひさま文庫)

    今から30年ほど前、「おはなし」の世界を知ったばかりで、覚えて語るのが面白くてたまらない時期。浦和子どもの本連絡会の「おはなし勉強会」にほぼ毎回参加、そこで近藤さんと出会いました。なかでも印象的だったのは、「金の髪」を近藤さんが語られた後のコメントです。「金の髪」の最後のクライマックス、金の髪とリナルド伯爵の幽霊が死の都に近づき、燃えさかる地獄の炎が暗闇の中に浮き上がって見えてくる、というシーンについて。テキストでは地獄の炎を「輝き」と表現していましたが、近藤さんは「地獄の炎は〝紅蓮の炎“でおどろおどろしいもの。輝く炎ではない」とおっしゃいました。確かに「輝く炎」「紅蓮の炎」では頭の中に浮かび上がる「炎」が全く違います。
 以来、おはなしのテキストと向き合うときは、言葉一つ一つを大切にするよう心がけるようになりました。近藤さんは「おはなし」の偉大な師です。              

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